高校卒業後すぐに僕は、父の経営する仲買の仕事に就いた。
僕の同級生等は就職活動や進学試験をしている中、のんきに遊んで卒業後にそのまま親のもとへ就職した。
当時はこの業界にいれば将来くいっぱぐれは無いと思っていた。
今思えば本当に甘ちゃんぼボンボンでしたね!
でも僕の一年目の最初のお給料は手取り13万だったかな・・・(今思えば、安く使われてたよなぁ・・・)
で、仲買で働きだした当時の同業者は31社 現在はその半分になっています。
会社は父が社長で従業員が6人とパートが2人いました。
仕事内容ですが、ザックリ話すと、夜中に起きて市場に行き、前日もらった注文を揃えるために場内に入ってくる魚の品定めをしていきます。
そして、冷蔵庫から前日残った魚を並べたり海水で洗ったりしてお客の地方の市場や小売鮮魚店や料理屋に売る準備をします。
問屋は2社ありました、そこから気に入った魚があれば問屋の担当が来る前に先取りしたりして注文や今日売るための魚を揃えてましたこの頃は朝が戦争でしたね、魚の取り扱い量も多かったですが、よく売れてました。
場内はセリ場があって仲買の業者たちが31社並んでいます。
それぞれ仲買の人たちもいくらか店ごとに特色がありますが同じようなことしてます。
セリは4:30頃から鐘と同時に各売り場でせりが始まります。
当時は500〜600店舗近くの業者が毎日来ていたと思う。
すごく活気があったし売り場も魚で埋まって通る場所がないくらいでした。
魚の業界で働きだして最初の一年は、車力を使って魚の入ったトロ箱を山のように積み上げて自分の会社の売り場持って帰ってました。
この車力はバランスが悪く後ろに荷物を積みすぎると倒れて魚をよくばらまいていましたね(/ω\)
ガラエビとかをひっくり返すと大変でした、このセリ場から自社の売り場まで持って帰るのがパートの仕事です。僕もパートと一緒に運んでました。
売り場に持ち帰った魚を今度は場外から買いに来たお客の車へと運びます。
広い場内の駐車場に止まっている業者の車や買参人の番号を覚えて探しながら配っていきます。
これでお客に顔を覚えてもらう意味もあります。
まず一年はこの車力引きをして、季節ごとに扱う魚が変わっていくので魚とお客さんの顔を覚えます。
二年目はだれか従業員は売り子と言いますその売り子の中の誰か一人について手元といって帳面を付けながら魚の扱いも覚えてゆき同じように車力も引きながら仕事をしていました。
ここで誰に付くかでその後の専門の魚種が変わってきます。
仲卸業者はお客も魚のプロなので、それ以上に知識と経験が必要です、そうでないと仕入れも販売も一人前になれません、問屋にもお客にもなめられたら出来ない仕事です。
セリが終わって2時間ほどで当日の魚はほとんど捌けてしまいます。
その後売り場の片づけをして、ご飯を食べて、帳面をします。
お客に売った魚の積み忘れなどがあれば軽トラに積んでお店に届けに行ってました。
当時は朝から酒飲んで仕事している人がかなり居ましたね。
飲酒運転もそんなに厳しくないしシートベルトも切符切られないそんな時代でした。
当時料理屋で使う赤メバルとサザエとトコブシの注文がたくさんあって料理屋さんの注文は大きさをグラム単位で揃えていました、おかげで測りなしでも手で持つだけで目方が分かるくらいになりましたよ。
あと真冬でも赤メバルを海水に氷を入れた水で魚についたサビを取ってしかも素手で洗っていました(-_-)/~~~ピシー!ピシー! あんなに冷たかったのになぜか霜焼けにはならなかったなぁ~
ああそう言えば当時、結婚式場も取引があって昔は結婚式と言えば披露宴のお土産に焼鯛が必ずついていました。一日で1500枚位一枚500~1000円してたかなぁ売れてましたよ(^_-)-☆
年間の売り上げ7億~8億と言ったところでしょうか・・・
三年目から養殖ハマチを担当と養殖の鯛を扱い売らしてもらえるようになりました。
ただ注文を揃えるだけで目利きも要らない簡単な仕事だったけれど嬉しかったかなぁ~
三年目になり養鯛と養殖ハマチを扱いだしました。
この頃の養鯛って真っ黒でしたね~チヌより黒い特に産卵期の鯛はメスでも真っ黒でした。
最近では養殖のハマチよりカンパチの方が売れているみたいに思うけど、当時は養殖のハマチがよく売れていました。
まあ食べて美味しいのは断然ハマチですが、身が酸化しやすくて刺し身にしてもすぐ色が変わってしまうので、最近の料理屋さんはカンパチを使っていますね!
魚の目利きってオスとメスの見分けが出来ないとダメなんです。
また、いつが旬でどこでとれた魚なのか、産地も大事ですね
鮮度と一尾ごとの身の太り具合など覚えないといけないし、まぁこの辺はまだまだ先です。
たった三年では覚えられませんよね それより朝1:00に起きていたので
(朝起きるのが仕事で寝るのが飯)なんて当時は言っていました。(+o+)
その頃僕は養殖のハマチと養殖の鯛を優先してもらえるように問屋と仲良くなる為に、休日前などは養殖の鯛を水槽から上げて〆るってわかんないかな?
(生きたまま手鍵を使って鯛の脳みそを刺してエラの所と尻尾を包丁で切って血抜きをする)
当時僕がついていた師匠はKさんって言うんですがその後僕が独り立ちするまで教わった師匠です。
その師匠に教えてもらった事を書いていきます。
魚の値段をお客や同業の人にばれない様に暗号がありました。
セリで魚よ買ったときにマジックでエフダって呼んでたけれど(買参番号を印刷した紙)を競り落とした魚に貼ります、このエフダの裏に買った値段を書いて入れます。
それをつぎつぎと車力に積んで持って帰るとすでに買いに来た小売り鮮魚店の人が待っていて値段を聞かれるんですそのときにこの暗号を見て値段を伝えていました。魚屋さんってとっても気が短いので待たないんです。
その暗号は 【スエヨシイナリサマ〇】をつかってました。
末吉稲荷様って意味らしい。
まあ商売の神様は稲荷様だからかなぁ?
使い方は 例えば ¥1000円で買ったらス〇と書くんです、100の位は捨てます。
ス=1・エ=2・ヨ=3・シ=4・イ=5・ナ=6・リ=7・サ=8・マ=9・〇=0
例えば¥1500円ならスイ¥4500だとシイ簡単でしょう( ..)φメモメモ
もうこんな暗号を使っている人いないでしょうね~
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