亡くなった母を思い出した。残った父はこれから・・・

結核性髄膜炎

どうも、ごっつあんです!

 

今日は、業務中にふと母の事が頭に浮かび、このブログを書いています。

 

母は、一昨年、結核性髄膜炎になり、去年、急性心不全で亡くなりました。

 

【突然ですが】7月30日17時25分・・(訃報)母が亡くなりました。
2019年7月30日17時25分 母が天国に旅立ちました・・・ 昭和17年2月2月27日生まれ 享年78歳 関連記事: 今日は【母の日】母のお見舞いと、父に『そば』ご馳走しました。 一寸の光陰軽んずべからず。人生を見つめ直す...

 

僕の母は生前、とてもオシャレが好きな人だった

 

お嬢様育ちの世間知らずで、欲しいものは好きなだけ買って、贅沢をしている人でした。

 

そんな母を父は、「しょうがない奴じゃ」なんて言いながら、わがままを許していました

 

そのぐらい父は、母に惚れ込んで結婚していたんでしょう

自分は、大人になってから、そんな母を見て僕は嫌いでした

 

女は家庭を守ることが当然だと思っていたから

 

僕の子供の頃は、母は普通に母が家事をしていたんです。

 

しかし、趣味で始めたカラオケに本気になってから、カラオケの講師になり、母はほとんど、家にいなくなったんです。

 

いつからか家で料理をすることはなくなりました

 

父は、母の好きなことを自由にさせたいと思ったのでしょう。

 

不満を聞いたことはありません

 

父は真面目で、仕事以外はいつも家にいました

寂しくなかったのかなぁ・・・

 

母は、友達や生徒との付き合いやステージの衣装代などでかなりのお金を使っていました。

 

母が亡くなった時、父の年金も母は使い込んで、カードで借金も150万近くあって、知人の保証人名義で車女買っていました。

 

母が亡くなった後、残った借金を父は整理して

母の知人には迷惑をかけないため毎月年金から返している。

 

父は、本当に母を愛していたんだと今でも思う。

 

先日も父の所に顔を出した時、「もうちょっと早くちゃんとした病院に診てもらえば、助かったかもしれん・・・」と涙を見せていました。

 

母、一筋の父には、頭が下がる思いです。

 

そんな父で、好きなカラオケやオシャレを自由にしていた母は幸せだったはず。

女性は華です。

 

今思えば、オシャレで華やかにしていた母は素敵な人生だったんじゃないかと思う。

 

不幸そうな母を見るよりよっぽど自由奔放に生きた母の人生は魅力的です。

父も母の幸せが父の目的だったんだろう

父はこれでよかったんだろうか・・・

 

仕事一筋に生きて、気づけばひとり。

 

本当は母と2人で旅行とか買い物とか食事とかもっとやって2人の時間を過ごしかったんじゃないのかな、

自分の親だから父を見て、そう思う。

 

僕の両親は本当に仲の良い夫婦だったんだ。

 

それにくらべ、僕は・・・・

あ、くらべるのは、やめよう!

 

あまりにも、父と僕は違いすぎる。

それより、今の僕は、残った父に恩返しできるよう行動していかなければならない。

結核性髄膜炎日記
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